終戦の翌年に、「母水開拓団」が入村されました。
夏の暑い日の、正午頃に、組合の前に到着されました。
台八車は、又六さんの、納屋に預けて、早速、「母水ハハミズ」に向われたのでした。
台八車は、組合の前からは、道巾が無かったのです。
開墾は、思うに任されず、大変な御苦労をされました。結果的には、失敗に終わりました。
「何人ぐざった(おいでたの)がいら(やら)、おぞげな(大変な)、がさやぶんなか(藪の中)じゃそうじゃが(そうですが)、おかみの(政府の)、いわっしゃるように、旨いこと、いくもんかどうか、人(他人)のこっちゃれど(ごとですが)、心配じゃのう」
「浅井さん、坂本さん、川畑さん、青島さん、西部さん、長谷川さん、上野さん、小竹さん、名前の解らん人も、ぐざるよう(おいでる)じゃれど(ようですが)、ほとんど、夫婦連れじゃといし」
「ごぼの(寺の)うしろから、「梨の木峠」んなむ通る、「野田」道へ、歩いていかした(行かれた)といし(そうです)」「こないだ(この間)、学校の遠足に、母水の開拓団んなむ、見に、行って来たがいれど、せばい(狭い)、暗らい、おとろしい道んなむ、だやかった(だるくなった)じゃ、一時間から、うえ(以上)、かかった、よう
来てくれた言うて、泣いて喜んでぐざった、どべぁ(土が)悪て、なん植えても、蒔いた種程、
採れん言うてぐざった、炭も焼いて見たり、澤川迄の新して広い「林道」んなむ、こしらえさっしゃるがでないか言う話ぁ出とるそうな」 おしまい
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